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交通科学協議会の理念 | ||
交通科学協議会の経緯 | |||
交通科学協議会の足跡 | |||
交通科学協議会の理念
わが国においては、これまで交通安全に関して、社会に広報活動を行っている団体は外にもあるが、学際的研究と広報活動を並行してまとめて推進している団体は、本協議会以外きわめて少ない。そのような意味から本協議会は非常にユニークであり、その研究・広報活動の全体像もほかに比類がない。
本協議会のように交通科学に関係の深い識者が連携して交通安全を論ずるという学際的な研究・広報システムは、問題を着実に解決するために必須の体制である。例えば交通環境が変化すると事故形態も変わる。その結果事故に巻き込まれた犠牲者の外傷病態が異なったタイプになる。そのような関連性を十分に理解し、効果的な対策を講ずるために先ず必要な手段は、道路工学・道路行政の専門家と外傷・救急医学の専門医との対話・検討である。
以上等から、日本交通科学協議会の理念を一言で言うならば『交通科学に関係の深い研究者の円滑で緊密な協力による交通安全の達成である』と言うことができる。そしてその具体的項目は定款にあるとおりであるが、本協議会が日本の中において貴重な学際的研究団体であり、交通安全を最大の研究目的とし、その成果を広く社会に還元するべく最大限に尽力していることをご理解いただけるであろう。
この36年の間に社会のニーズに応じて、その研究領域は広がっている。これらの理念に基づく活動の動向・実態は、調査・研究等の章を参照されたい。
交通科学協議会の経緯
※ 1 昭和37年(1962年)2月「日本交通医学協議会」を特定団体として創立
この時期の日本は、戦後の復興期から抜け出し、経済活動の活性化と共に自動車や二輪車の増加も目覚しく、この年の交通事故者数は1万1445人で、ここ数年の9000人前後と比較すると格段に多かった。このような交通状況を背景に「日本交通医学協議会」が設立された。
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2 昭和40年(1965年)2月「社団法人 日本交通科学協議会」を公益法人として設立
交通事故問題を広く深く検討研究し対策を積み重ねていくために、医学領域だけでなく、交通工学・人間工学・自動車工学・道路工学・交通行政・法学などの研究者・実務者と各分野の医者が交通安全の問題に取り組む体制として
「日本交通医学協議会」の発展的解消により「社団法人 日本交通科学協議会」(以下「交科協」という) が設立された。
なお、「交科協」は、現在は文部科学省の所管になっている。
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3 昭和59年(1984年)11月 日本学術会議の第7部(法医社会医学)及び第5部(基礎工学)に登録
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4 平成4年(1992年)8月21日 内閣総理大臣から特定公益増進法人に認定され、同証明書を交付された
※ 5 平成12年(2000年)7月 中村紀夫会長が、内閣総理大臣から第18期日本学術会議会員(法医社会医学)に任命された。
交通科学協議会歴代会長・副会長
初代 | 昭和40年2月〜昭和50年6月 | 東京慈恵会医科大学名誉教授 | 石川 光昭 |
二代 | 昭和50年6月〜昭和54年6月 | 東京大学医学部教授 | 佐野 圭司 |
三代 | 昭和54年6月〜平成元年4月 | 日本大学医学部教授 | 西川 眞八 |
四代 | 平成元年6月〜平成6年6月 | 元警察庁交通局長 | 富永 誠美 |
五代 | 平成6年6月〜平成15年6月 | 東京慈恵会医科大学名誉教授 | 中村 紀夫 |
六代 | 平成15年6月〜平成27年6月 | 日本大学生産工学部教授 | 大久保堯夫 |
七代 | 平成27年6月〜 | 労働者健康安全機構理事長 | 有賀 徹 |
昭和48年5月〜昭和54年6月 | 日本大学医学部教授 | 西川 眞八 |
昭和48年5月〜昭和62年6月 | 東京大学名誉教授 | 平尾 収 |
昭和48年5月〜平成元年6月 | 元警視庁交通局長 | 富永 誠美 |
昭和48年5月〜昭和54年6月 | 慶応義塾大学理工学部教授 | 佐藤 武 |
昭和48年5月〜昭和54年6月 | 東京慈恵会医科大学名誉教授 | 中村 紀夫 |
平成6年6月〜平成15年8月 | 東京歯科大学名誉教授 | 鈴木 和男 |
平成13年6月〜平成15年6月 | 日本大学生産工学部教授 | 大久保堯夫 |
平成14年9月〜 | 東京慈恵会医科大学教授 | 高津 光洋 |
平成15年6月〜 | (財)日本交通管理技術協会専務理事 | 村田 隆裕 |
平成21年5月〜平成27年6月 | 昭和大学医学部 教授 | 有賀 徹 |
平成27年6月〜 | 玉川大学工学部 教授 産業技術総合研究所 |
阿久津正大 小野古志郎 |
平成28年3月〜 | 滋賀医科大学医学部 教授 帝京大学医学部 教授 |
一杉 正仁 三宅 康史 |
交通科学協議会の37年の主要な足跡
※
1 交科協の創立前後から交通安全対策基本法の制定まで
(昭和40年(1965年)〜45年(1970年))
第1回の「交科協」総会は、昭和40年6月近藤武日本大学教授を総会会長として、東京で開催され、特別講演や交通問題に関する研究討議が行われた。以降毎年5〜6月を中心に持ち回りの総会
会長のもとに開催されることとなった。また、翌年の第2回総会からは、総会関連のシンポジウムも開催されている。
研究内容としては「疲労・飲酒等の運転上の心理・生理的な解明研究」、「交通事故犠牲者の実態報告」、「救急体制」、「むち打ち症問題」などに関して調査研究が行われた。
※
2 交通事故者「最小記録達成まで」
(昭和46年(1971年)〜昭和54年(1979年))
研究内容としては「救急医療」、「交通事故鑑定」、「むち打ち傷害(後に衝突傷害)」、「運転適正」、「交通事故研究」、「飲酒運転」、「夜間交通安全」、「交通環境研究」、「幼老年者交通安全研究」等の各研究部会が行われた。
また広報啓発の分野では、昭和47年8月に「交通安全夏期大学セミナー」の第1回が企画実施され、昭和51年10月に「交通科学総合シンポジウム」の第1回を開催している。更に、昭和54年11月に
は世界初の「シートベルト国際シンポジウム」を開催している。
特にこの10年はピーク時死者数からその半減を達成した期間であり、交通安全及び被害軽減対策樹立に向けて科学的な取り組みの重要性を発信し続けるとともに、他の関連学術組織等の誕生にハズミをつける役割を担った。
※
3 交通安全に関する政策の再構築が求められる今日まで
(昭和55年(1980年)〜現在)
「交科協」組織結成後から設置されてきた研究部会は、昭和50年代に入って「プロジェクト委員会」方式に移行した。
研究内容としては「救急システム」、「航空機による救護システム」、「自動車安全装備研究」、「人身傷害研究」、「積雪寒冷地研究」、「トラックの被視認性向上」、「車両構造特性の解析」、「老人の交通安全研究」、「幼老年交通安全研究」、「二輪車事故研究」、「事故車等の緊急排除システム」、「トラック(トレーラ)の操縦安定性検討」、「交通科学ライフサイエンス文献リスト」「頭部外傷データバンク構築」等のプロジェクトが行われた。
また国際的な会議としては、昭和60年5月に「第10回国際交通災害医学会総会」を主催、更に平成9年10月には「夜間の交通安全国際会議」を主催し、実りある講義・討議が行われた。